自己公理について

自分の思考の公理を言語化してみる - no titleより
1 他人の自由を侵害しない限り自由である
2 自分は普通の人類で日本人である
3 マクロでは決定論的でもミクロでは非決定論
4 すべての情報を知る事は出来ない

を出発点により
一般的に(より否定される状況が少ない)
シンプルに(より広い範囲に適応でき)
変えていく

1 他人の自由を侵害しない限り自由である
2 自分は普通の人類で日本人である
3マクロでは決定論的でもミクロでは非決定論
4すべての情報を知る事は出来ない

から

1 他人の自由を侵害しない限り各個人の自由は保障される
2 出発点は変更できない、出発点それ自体は変化する
3 マクロでは決定論的でもミクロでは非決定論
4 すべての情報を知る事は出来ない

へVerUpした

それぞれの公理の説明は下

1 他人の自由を侵害しない限り自由である



1 他人の自由を侵害しない限り各個人の自由は保障される

これは自己公理にするには手に負えない公理だと思う
どこまでを他人の自由を侵害しない行為と認めるかによって社会主義から無政府主義まで導出できる解釈の広すぎる定理だからだ
その線引きとしてルールやマナーや常識や法律やがあってそのどれもがある程度の割合で正しくてある程度の割合で間違っているのでそれらは自分の公理としてはおくことが出来ないので厄介だ
これを公理とおくとルールやマナーや常識や法律より正答率(物事や何かに対して評価を下すときにその評価が正しい割合)が落ちる自己公理系が出来上がる、なぜなら自分一人の頭で考えた物事を判断するための系より全国民のチェックを乗り越えて生き残ってきた判断系の方が正しい考え方を示すだろうからだ
それでも「他人の自由を侵害しない限り各個人の自由は保障される」を自分の公理に置きたいのは価値観が原因だ
常識やルールやマナーが正答率の低い分野の正答率を他の分野の正答率より重視しているからだ
だから自分は自己公理として「日本国憲法以下すべての条文は正しい」などとおくことは出来ない

2 自分は普通の人類で日本人である

2 出発点は変更できない、出発点それ自体は変化する

短くしすぎた

指定の制服がある学校で私服を着てくる不良が居ないようにある出発点が定められるとそこからどう思考の筋道を進もうと出発点に縛られる
しかしその出発点は時代や場所や個人の経験によって変わる
過去においても未来においても現代と同じ出発点にあった時代はないし現代の中でもすべての国や地域で思考の出発点は違うだろうし人間一人一人の間でも違う

3 マクロでは決定論的でもミクロでは非決定論

3 階層を上に行くほど決定論的になり下へ行くほど非決定論

士郎正宗量子力学からの受け売り

大きな集合である事自体が慣性を生み出しそれ自身の持っている方向と速度を変化させない様にする
集合が小さければ小さいほどブラウン運動のように小さな要因でそれ自身の持つ方向と速度が変化する
個人のレベルまでくると量子のように次の瞬間どのような方向と速度を持っているかを決定する事は出来ない

4すべての情報を知る事は出来ない

A、B、Cと3つの情報を持っていてその情報から得られる論理的に正しいaという結論に至ってもDという情報が得られれば結論aが間違っていると分かる可能性がある事
科学の法則の中で仮説でないものはないと言うような考え方


今後も自己公理の修正と追加を続けていく