ネットが原発と同じぐらい大多数の人に問題提起をするほどに一般化したという事か

自由であるべきものが、その自由さのあまり、一部の勘違いをしたものたちの行為によって、自由を失っていく。だから、その自由は制限されるべきである、と言うこと自体は多分間違っていない。もはや自浄作用の存在を信じているものはほとんどいるまい。
インターネットの自由とは - novtan別館

これみて

一方で、私は理系的ラッダイト運動という概念を考えていて、こちらは、一定以上の科学知識があって論理的思考ができる人は、原発反対になるという主張。何故かと言えば、ある程度の科学的な常識があれば、巨大技術の根幹が案外、科学的な素養が無い人間によって牛耳られているということも、ほぼ常識として理解しているだろう。だから、きちんと運用されれば期待値としての環境負荷原子力発電が最低になることを理解していても、「万が一」の確率が「万が一」ではないだろうという予測の元に、原子力発電反対に回るだろう、という話だ。

つまり、科学技術に関する知識が平均より高い人と低い人は原発反対で、その中間が原発支持。
匿名掲示板でしか対立を解けないような種類の対立の世紀と21世紀の政治を妄想的に予想する - アンカテ

これを連想した
ああ。もうネットは全長 30 kmの加速器原発丸々使って動かして粒子をかち割りたい費用対効果も何も考えず突っ走る人種の手から離れたのか
ネットも一般人全員が問題を認識するところまで来たのか
攻殻の世界に憧れて科学と技術が何処まで発展するか自分の目で見てみることを人生の目的の一つとしてる身としては科学だけじゃなくて技術にも突っ走って欲しいのに
そんな考えは一般的じゃないんだろうなぁ